『借りぐらしのアリエッティ』評・その2 [映画]
『借りぐらしのアリエッティ』評
〔第2回〕
:ポスターのキーイメージ画、この絵では髪留めクリップの角度、付き位置が変。もう気になる~
前回は――
かなり、スッキリしない。
更に人間側の描写がイマイチな点がいくつかあり、
――というところまででしたので、今回は――
《注意》
前回に引き続き、
以下、激しくクライマックスとオチについてネタバレしてます!マイナス指摘もあり!
『アリエッティ』未見の方、超気に入っている方もご遠慮ください。
『借りぐらしのアリエッティ』
スッキリしないポイント
1:観客を惑わす、リアリティだいなしの唐突で強引なストーリー展開。
人間の病気の男の子(主人公から見れば巨人)が、前置き無しに
突如アリエッティのウチの天井をバリバリとはがし(映画T4のロボ攻撃みたい)、
キッチン部分の壁一画を除去、代わりにドールハウスの高級キッチンセットを
ガゴーッと突っ込んでプレゼントしてくるが、
あまりにも強引で無理のある唐突さである。
アリエッティの隠された家の場所を、いつ病気少年は知ったのか?
ワンカットでも病気の苦しさをこらえて床下や天井裏を探す少年の描写があれば
少しは納得できるのだが、そういう描写は全くなしだし。
アリエッティの家は何部屋かに分かれてあったはずだが、
床下の隠された小さな小箱のようなキッチンのある場所(リビング?)を、
頭上床上からピンポイントでオープン&リフォームしてるし!!
(プレデターのような赤外線アイでも持っているんだな!きっと。)
あまりにもご都合主義な描写だ。ほんとに宮崎コンテなのか?
それとその少年の行為は、虫や金魚の水槽に「ほーら家だぞー」つって
欠けた植木鉢やらを突っ込む行為に近い思考と思われ、
他者への“思いやり”から発した行動ではないだろう。
これはあまりにも精神年齢が幼いと言わざるを得ない。
幼稚園までなら分るが、少年の落ち着いた言動とは全くそぐわない行動だ。
『ポニョ』で「海水魚に水道水注ぐな幼稚園児」って批判されてたが、
それ以下だろ!コレ。
まじでほんとに宮崎コンテなの?!ヤバイッスよ。
2:人間側の平板なキャラクター描写。
誰でも感じる事だろうが、お手伝いのオバサンの理解不能なキャラクター。
“無自覚の邪悪さ”といえるような思考のイヤな人で、
付け狙う小人に対してだけでなく、主人側である病気少年に対しても、
猜疑の目を隠さないし、最後まで“敵対”した行動を取っている。
このお手伝いオバさんを、雇用側である少年(名前忘れた)と伯母さんは、
制することもせず、最後まで野放しである。(叱るなりクビにするなりしろよ)
そのせいで、大切に思っていたアリエッティ一家は新天地を求めて、
少年の屋敷から去って行かなくてはならなくなった、のにな!
観客の心情としては、この手伝いバアサンをそれなりに懲らしめて欲しかった。
捕まえた小人や証拠が無くなっててちょっと錯乱するだけだし。
最後に一言でもいい、反省するような言葉を口にさせるだけでも良かったのに。
(余談だが「出エジプト記」(映画「十戒」)がユダヤ人以外にも、お話として
広く受け入れられているワケは、主人公側をさんざん迫害したうえ追撃してくる
古代エジプト軍団が、海が割れた紅海の大津波に呑まれてしまうシーンで、
強大な仇が懲らしめられ、スカッと溜飲が下がる点にある。)
このバアサンは周囲の人々と心の交流が全く窺えないのにも気になる。
そういえば、今作では、人間同士にはつながりが薄く孤独感が強い。
これは作家が意図したものだろうか。状況的に孤独である小人一家との対比で。
わずかに伯母さんがドールハウスの思い出を語るところは、
すこし心の交流を期待させられたが、そこからあまりドラマ的発展はしなかった。
主人公少年は病気のせいか思考が浅く平板で(バカ?)、表情も虚ろだ。
(そういやいきなり初対面に発した言葉が「怖がらないで~」とかバカっぽいな)
アリエッティとの出会いを通して、成長する感じがひとつも伝わってこない。
もしかしたら、アリエッティに向って「滅び行く種族だ」と言い切るような
“嫌味な性格”が少し直って、素直になったのかもしれないが。我々には分らないヨ。
更にほじくった事を言ってしまうと、なんらかの‘病気が重い’というのは、
少年が過大にそう思い込んでいるとしか思えないな。なぜなら、
本当に重篤で大手術を直前に控えた患者が在宅待機なのはおかしいだろ!
寝たきりでもなく、何の機器もつながず、介護者も無くテクテク歩いて
庭で日向ぼっこですよ。ちょっとどうなんすか?時代が少し前(?)であっても、
設定ヌルいぞ。(この状況は、手術後のリハビリ期の生活だとしか思えない)
そして、クライマックスでの少年の行動は手伝いババアに対して、
ただ小人存在の証拠隠滅、発覚を取り繕うばかりであり、
(捕まった小人母探しを手伝ったが、救出まではしていないし)
多くの宮崎アニメの主人公たちにあった、深慮や決意によっての、
“澄んでいるが熱い決然さ”は無い。
3:なんかスッキリしない別れのシーン
ラストの決別シーンは、宮崎駿も泣いた!とかいってましたが、
なんかコレでいいのかなあ?と、ずいぶん不満を感じていた・・・
なぜかと思い巡らせてみると―――
この場面、アリエッティの目で見ると少しグッと来たものがあったが、
あとで少年側の立場で考えると・・、
「もっと出来る事があったんじゃないかい!」と、
一喝したい思いにかられたよ。
だいたいだな「こうなったのも僕のせいだ。ごめんよぅ。」と
泣きながら、ひたすら謝れよ!!アリエッティちゃんに!土下座ッ!
(立ち退きの原因は、アリエッティ一家の隠れ家を小僧があばいたせいだろ)
変に余裕がありすぎるんだこの小僧は。もしくは感情も超平板なのか。
(「生きる勇気が湧いた」って言うだけでちっとも伝わってこない心情。
代わりに「絶望した」って言ってても違和感無い、ノー説得力エモーション描写)
「だって仕方ないんだー。
心臓に持病を抱える病弱さ&親とのふれ合いも無いからね。」とか、
妙にステレオタイプな設定を言い訳にするのかね。私は承知できませんわ。
だったら尚更、ふさがっていた心のドアが開く様な瞬間が描けていれば、
観てる方も感動できたのになあ・・・ザンネンなり。
4:客観的過ぎというか非情なラスト
エピローグでワンカットでもいいから、別れた後、
残された少年が、将来的に小人たちを支援していくような「決意」を胸に、
翌日の手術に向うという感じがあれば――、
(少年は「生きる勇気が湧いた」とか自分の事についてしか言わない)
少年の身とアリエッティら小人族両方に、わずかなりとも希望を抱かせて、
ぼくらは劇場を出る事が出来たのに。
滅び行く種族としても、未来に何かほのかな希望を灯して欲しかったな・・
それと、少年にとって大イベントである難手術については全く語られない。
結果を暗示的に匂わすことすら1ミリも無く。そういうスタイルもあることは認めるが。
せっかくなんだから、手術中に少年がアリエッティを朦朧と思い出すとか、
退院できた少年が、いなくなったアリエッティの面影に胸を焦がす、
などとやってくれたら、・・・もうね、観客は
切なさで少年以上に胸が苦しくなって、泣ける傑作になったのでは、と。
まあ、「そういう下世話なトコはあえて描いていないんだよバカだな!」
と、即答されちゃうのは目に見えるようだけれども。
盛り上がれるはずの局面の演出も、積極的にエンターティメント表現しなかったし、
冷静に抑制された演出と言いたいのでしょうが、
どうもお話として難しい所を避けて作った雰囲気を感じてしまった。
真っ直ぐ走っているようで、その実、ひどく左右スラロームしている思考過程を感じる。
(その最たる例が「ゲド戦記」だったと思う。)
しかしここで、逆に褒めて言えば、厳しいお話を派手なアクションで何とかしようと
砂糖をまぶすようなゴマカシをしていないとは言えるね。
なんかお話の筋立てとしては、ファンタジーの設定ながら、
甘さの無いハードボイルドな展開結果になってるアニメだ。
(作者がキャラクターたちを突き放して描いているしな)
味に奥行き複雑さは無いのが痛いし、苦味でなくエグ味が残ってしまったけれども。
わずかに、新天地に向う逆境にめげないアリエッティの姿だけが救いか・・
(ついでに言うと、あの後はやっぱりアリエッティは、
あの知り合った小人族のジムシィ?(名前忘れ)と一緒になるんだろうなあ・・
そうなるしかなさそうだもんなあ・・・)
第1回目の記述と被りますが、やはり今回の話こそ、宮崎アニメ特有の、
重い状況運命を何とかするラス前のブレイクスルー展開が欲しかった話だった。
5:笑えるシーンが一個も無し。
あの、手伝いババアの「グガガ」とか言う錯乱シーンで笑えというんですか?
それとも「便所コオロギの足食うか?」でですか?
いやま、笑えるシーン無くてもいいんですが、観客のエモーションを
もう少し揺さぶることを考えて欲しかったということです。
問題を感じたのは大体このくらいですが、厳しすぎるだろうか?
あとアニメの各構成要素についての印象は・・
―第3回に続く
それじゃまた。
(9/30少しだけ加筆)
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