『借りぐらしのアリエッティ』評・その3 [映画]
『借りぐらしのアリエッティ』評
〔第3回〕
:相変わらず美術はイイですなー
《注意》前回ほど、クライマックスとオチについて激しいネタバレはないですが、
いくつかマイナス指摘あり!『アリエッティ』未見の方、超気に入っている方もご遠慮ください。
『借りぐらしのアリエッティ』
アニメの各構成要素についての印象は・・
特筆すべきサウンドについて。
まずBGMは主題歌のセシルの曲メインで、全体に静かな印象。
しかし盛り上がるところはもっと音も盛り上がらせて欲しかったような。
とにかく良かったのは、とても印象的な効果音(S.E.)でした。
アリエッティたちが歩く場所によっての音の変化が楽しかった。
床では「ボッコン。ボッコン。」石や砂では「ゴツゴツ。ジャリジャり。」
アリエッティと一緒に“借り”の小冒険に出ているような臨場感があった。
基本として、アリエッティたち小人側主観での音の捉え方で表現されていた。
人間主観で聞いたならば、「コソコソ。」「カサカサ。」などのような
虫やネズミがたてる様な音で表現される訳ですが、
小人主観なので、我々人間の行動音がまさに怪獣で、
歩行は「ズズン!ズズン!」「ガーゴッ!ガーゴッ!」で、
身じろぎしただけで「ズサーッ!」って大音響がする。
これは面白かったんですが、お話し上リアリティでの問題点は、
小人と人間がフツーに会話できちゃっている事なんですね。
小人からすれば人間の発する声は「ガオーッ。」とか「ズゴズゴッ。」という、
大音響になるはずで。少年「グアー!、ゴワガラナイデエエェェ!」
で、人間主観ではアリエッティの声は蚊の飛ぶような音に聞こえるでしょう
アリエッティ「プウゥゥン・・ィィィン。」
・・・とね。
まあこれは、始めは大変でも、当事者同士の努力によって
だんだん上手く会話できるのではないかと思われるし、
観ている客にその辺をはしょって演出したのは、
スムースにお話を語る上で仕方のない妥協とはいえます。
でもそういう困難を乗り越える描写こそ、話として面白く、
少しでもそういう苦労描写があれば、逆にテーマが高められたかも、
とも思えます・・・。
そして目玉の作画について
まず素晴らしかった画面構成、背景美術について――
庭の草木などの小自然の美しさが目を惹きますが、
床下などの普通目にする事の出来ない場所に小人の家という、
ファンタジー世界を、リアリティを持って現出させたイマジネーションが
この映画の魅力の核になってます。これはイイ!
アリエッティら小人たちの生活にまつわる様々な物事を、
細部にまで想像力をめぐらし作り上げられた舞台背景によって
説得力のあるシーンとして見せてくれました。
:アリエッティカワイイぞ。だが注目すべきは仕掛けの行き届いた背景美術だ。
動画としては――
個人的には、アリエッティのキャラだけは観る前の印象よりも、
ずっと良く、魅力的で。もっと動くところを見たいと思いましたよ。
面白いのは、アリエッティはいつもは髪を下ろし明るい普段着を着ていて、
ちょっと大人っぽく感じます。そして“借り”に出かける時の、
髪をクリップで留めアップにして、赤いワンピース外出着(戦闘服?)を着た様子は、
元気な、しかしちょっと子供っぽくなった印象になるんですな。
これは緊張の中にも浮き立つ心中を象徴しているかのようです。
小人の生活では、“外出”は危険が一杯の気の抜けない行動で、
我々人間のように明るくヒラヒラした服を着て出るのとは逆なのだろうと。
冒頭、ナイショで明るい普段着で庭へ出かけた時は、やはり少年に目撃されてしまったし。
( ここで赤い服は派手だろう、と言う人もいるだろうケド、
「赤」という色は、実は視認度は低く、充分な明るさや信号機のように発光していなければ、
ちょっと薄暗い所ではかなりわかりにくくなる。夕暮れ以降夜間には有効だ。
そして人間以外の動物の目には、それ以上に暗く黒っぽく見えるらしい。)
このアリエッティの変化によって、このキャラは生き生きとした存在感を放ち、
“特殊な状況に生きる少女”という説得力を持つ事が出来たと思いますよ。
まあちょっと、それ以外のキャラは、少年含めなにか煮詰め不足な感じがありますが。
( おかあさんは、少女のまま大人になった感じでイイとしても、
セリフの少ないおとうさんは、外出着は、ゴーグル付き頭巾とかで
『ナウシカ』に出てくる敵の戦闘員A、みたいなイメージでしたね。)
しかし主人公アリエッティのキャラクター表現が上手く出来た事で、
この作品は色々な問題があっても、再鑑賞に堪え得る物になったと言えます。
グッジョブ!
アニメーション、アクションは、全体に抑制の効いた、
変なデフォルメのない、説得力のある動きが徹底していました。
これは作画の力量がとても高いという事です。
(TV向きのデフォルメしまくりの、デッサン力よりセンスで勝負のアニメも好きですが。)
―それだけに感情もアクションも、もっとはっちゃけて欲しかったなあ。
新人監督の米林氏のアニメ‘描画’演出は確かに素晴らしかった。
キャラの描写の存在感は宮崎駿以上でしょう。
ただそれ以外の部分では、監督といっても評価不能です。
言わばオヤジ格の宮崎の考えたイマージラインのまま、
作画しましたって感じしかせず、新しい味はしなかったと。
個人的に残念だったのが、あれほど表面張力を強調したお茶などで
ミクロ世界をデフォルメして描いて見せたのだから、
アリエッティが泣くシーンでは、
お茶よりも表面張力強いはずのこぼれる(大きな)涙の粒を、
面白く&美しく描いて見せる事に挑戦すべきだったはず。
しかし実際のそのシーンでは、
普通人間サイズのセオリーで描かれていて、ちょっとガッカリしました。
会話の件もそうだが、そのへん制作の都合での使い分けだが、
チャレンジを回避しているとも言えるぞ。やるならトコトンやれ!
制作ドキュメントTV番組(NHK)を観たら、
激情を動画に乗せる天才の宮崎に対して、米林監督は物静かで、
作風も細やかな演出表現を得意としているようで、
持ち味の違いと言えますでしょうね。高畑勲監督タイプに近いような・・・
しかしだとすると、両者の中での譲れない「一番」は違うもののはずで、
そこは、イニシアチブを取った監督ではなかった『アリエッティ』制作において、
イメージのギクシャクする一因となっているな、とうかがえる。
で、宮崎氏も、若手を叩いて作品を高めていこうと言うやり方は、
幾度もの過去の失敗から、マズイ作家の育て方だというのが判っていて、
さらに米林氏の打たれ弱そうなキャラから、
制作期間中かなり‘腫れ物に触るような感じ’で接していた・・。
そういうことから一旦描き上がった絵コンテを叩き台に検証したり、
討論を交わすような事を経ていないという、
いつに無く完成度の低いコンテでGOになっているように思える。
宮崎自らの監督作ならば、個人で深く検証してきたようなシーンは、
「あいつに任せるから」として、懸案部分もナマのままで
絵コンテをリリースしちゃったんじゃないですか。
その辺が同じような制作スタイルだった『耳をすませば』と、
大きく違うところだと感じられます。
((故)近藤喜文監督との作家性の違いは大きく、単純には比較できないですが。)
制作者は、もっともっとバトルして新たなる境地へ行って欲しいなあ。
TV、映画問わず、映像商業作品となると、
自分の思うストーリー表現の実現を、ケンカして勝ち取るような気概が無いと、
人に伝わるものづくりはできないとおもうからね。
・・ごめん、ちょっと偉そうな事言った。(もちろん自分の事は棚に上げちゃって。)
でもこういう期待はやっぱりジブリだからこそ、ですからねッ。
最後に一言総評を言えば
『借りぐらしのアリエッティ』
大作感は全然無いが、(逆に)ホメて言うと、
これこそ“珠玉の掌編”というものじゃないだろうか。
(辛口すぎの批評のわりに結構好意的な結論になった。)
で、『アリエッティ』のトータルな出来を見て、
ジブリの似た立場の作品の中での私的な位置付けするとーー
『耳をすませば』>>『アリエッティ』>>>『猫の恩返し』>>>>>・・『ゲド』
ですね現状。
次回オマケ的に番外編その2です。
それじゃ。
(2回目と3回目、間が空いてしまったのはso-netのせいです。
長時間メンテに続いて投稿受付されなくなってました10/1~/2)
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