2010年も暮れました [日記]
うああ。今年も終わりかよ。
皆々様には今年も色々お世話になりました。
うーん、なんか後半はなんだかやけに病院と縁があったなあ・・・
自分やら家族や周囲の人やら。
来年は全開バリバリで行けます様に・・・
それじゃ、
*“バカT”の為のパロイラスト
良いお年を。
*アホなネタが溜まりすぎて困ったので“バカT”など出す事にしました。
ClubT http://clubt.jp/shop/S0000039436.html見ないふりで吉
ヒネッテユートゥ!
(追記:ずっと「2011年も暮れました」ってタイトル間違ってて。オハズカシー。)
祝!『事件記者コルチャック』発売! [テレビ]
『事件記者コルチャック』祝!DVDBOX発売!
以前『墓場鬼太郎』の話題で私が熱烈要望していた、
TVシリーズ『事件記者コルチャック』が
なんと来月DVDBOX発売だ!おかげで一気に全話観れるぜ!
私の声が届いたのか?もしかして神はいるのか?
とっさに作ったアオリ文句
「カルトなオカルト全部入り!」
あと『Xファイル』の元ネタ!
:大体こういうヘッピリなノリ
とにかく大塚周夫の吹替えが絶妙だぞ。
「うへーオッカナイ~」とか言いながらも
恐ろしい存在の謎を解明しようとする主人公、
コルチャック=ダレン・マクギャビンの大ファンになったのは、
周夫(ちかお)氏の吹替えの魅力のおかげが大きいかと強く思う。
この中の一エピソードの話で
ブードゥー教の呪い(というか秘術)で甦った死者
「ゾンビ」が登場する。
ここでのゾンビは現在イメージされるような、
ジョージ・A・ロメロが創造した、
人間が感染により“人ならざるもの”になった“襲い来る食人鬼”ではなく、
そもそものルーツで元祖本来のゾンビである。
死してなお術者の命じるまま使役される生体ロボットのごとき存在で、
人体ゴーレムと言えるものであった。
劇中では、この敵をただのモンスターとして扱わず、
「頭を吹っ飛ばせ」などという乱暴な解決法はもちろんとらない。
コルチャックはブードゥー呪術を破る為の“手順”に従って
命を狙われつつも、大変な思いをして、
なんとか殺人マシーン、ゾンビの活動を止めようとするのだ。
まずゾンビが寝ている(活動休止の)間に
「ゾンビの口一杯に塩を詰める」
次に
「その口を糸で縫いつける」
そして
「その身体を吊るして」
最後に
「ろうそくの火でその足を下から炙る」
・・・と、ここまでやって、ようやく呪術は解け、
ゾンビはただの死体に戻る。その前にこっちが殺されなければ。
(このへん完全に放送当時の記憶のみで書いてます)
こんなとこまでやってみせるのは他に見た事無い。
子供ながらに勉強になったなあ、あの当時。(なんのだよっ?)
あとは定番の吸血鬼やら、毎回様々な怪異が登場するが
特にインディアンの悪霊とかが、怖かった思い出があるな・・
色々思い出したぞ、結構憶えてるもんだなあ。
(たしか本放送一回のみで再放送はして無いと思う。地上波に限るけど)
そうそうコルチャックが所属しているタブロイド誌の編集長が、
なかなかイイ味出してました。主人公との掛け合いも良かった。
昔、日テレでたしか土か日曜23:30頃からやってたUSAテレビ枠だったと思うけど、
(「超人ハルク」等々それぞれ面白かったヨナ)
20年間くらいそういう枠はテレ東くらいだけに減ってた時期あったが、
最近は深夜各局、山ほど近作の放送するようになったので、
今はイイ時代なのだろうかねえ?
基本貧乏なのでなかなか贅沢できないんだけど、
この作品だけは手に入れたいと思うぞッ。
合言葉は「逆さクッチャルコ」!!
『借りぐらしのアリエッティ』評:番外編その2 [映画]
『借りぐらしのアリエッティ』評
〔第4回:番外編その2〕
『借りぐらしのアリエッティ』
前回まで述べた問題の回答考察というか推理――
(どっちと言えば好意的な)
《疑問点から推理した制作実態》
ところで、今回の『アリエッティ』制作ドキュメント番組中で、
スケジュールが致命的に遅れ、公開に間に合わなそうになっていた。のが、
その解決策も提示されずに、なんとか公開に間に合った、
とだけアナウンスが入っていた。
あれ?どうやって?「休み返上で頑張った」「助っ人&外注作画を大量に頼んだ」
とかは、だいたい普通にやることで、そういういつもの解決法の段階を
大きく越えてたから鈴木プロデューサーも青くなってたはずで・・・
「もうね、こうなると力を入れて作るとこと、抜いて作るところを分けて・・」
って、米林監督にお達ししてたではないか。鈴木P。
しかし、ジブリの映画では省力化に寄与するような極端な手抜きシーンは許されない。
・・すると、これどうやら、制作予定の絵コンテのシーンを所々シーン丸ごと
かなり大幅に削除した可能性があるな、と推測できます。
そうだとすると、前回までに述べた“納得のいかない唐突な展開”になったのも
当然だし、シーンが上手くつながらず、カット飛びが起きて慌てたとかの
制作風景も、むべなるかなです。
「やっとまともな演出家が出て来た。」という宮崎駿の米林監督への賛辞は、
厳しいスケジュールの中、大胆に刈り込んだコンテをなんとかまとめて、
無理っぽい公開スケジュールによく間に合わせた、プロとしてよくやった。という、
意味も含んでいたのではないか?と。そういう意味の“演出家”と感じられます。
この推測は、この作品のギクシャクしている問題点の疑問に対する解答として
かなり有力じゃないかと思えます。
・・なら、ちゃんとした“完成版”が観たいヨ。
―でも後からディレクターズカット版は出さないジブリですから。
そう、絵コンテ本は恒例ですから発売するでしょうが、
映画に使用した部分だけを抜き出し逆編集した完成後編集版でしょうね。
宮崎駿が米林演出にリリースした絵コンテのバージョンの映画を観てみたいなあ、
と思います。いやー、どんな幻のシーンがあったのかと、いろいろ夢想してしまう。
(まあ勝手な推理の話ですが。一方的な思い込みとも言う。)
長々書きました。ひとまず『アリエッティ』評はここまでです。
〔おまけ〕
今回明らかになった、衝撃の事実!
①古い民家の床下壁中天井裏などに、人から隠れて繁殖。
②発見されると、どこかへ引越しして居なくなってしまう。
これらのことから・・・
「トトロ」の“マックロクロスケ”と
「アリエッティ」の小人族は同じだった!
「出て来ないと目玉をほじくるぞ♪」って言われりゃ、
人間の子供を怖がるのも仕方ないよね!
とかっ。
『借りぐらしのアリエッティ』評・その3 [映画]
『借りぐらしのアリエッティ』評
〔第3回〕
:相変わらず美術はイイですなー
《注意》前回ほど、クライマックスとオチについて激しいネタバレはないですが、
いくつかマイナス指摘あり!『アリエッティ』未見の方、超気に入っている方もご遠慮ください。
『借りぐらしのアリエッティ』
アニメの各構成要素についての印象は・・
特筆すべきサウンドについて。
まずBGMは主題歌のセシルの曲メインで、全体に静かな印象。
しかし盛り上がるところはもっと音も盛り上がらせて欲しかったような。
とにかく良かったのは、とても印象的な効果音(S.E.)でした。
アリエッティたちが歩く場所によっての音の変化が楽しかった。
床では「ボッコン。ボッコン。」石や砂では「ゴツゴツ。ジャリジャり。」
アリエッティと一緒に“借り”の小冒険に出ているような臨場感があった。
基本として、アリエッティたち小人側主観での音の捉え方で表現されていた。
人間主観で聞いたならば、「コソコソ。」「カサカサ。」などのような
虫やネズミがたてる様な音で表現される訳ですが、
小人主観なので、我々人間の行動音がまさに怪獣で、
歩行は「ズズン!ズズン!」「ガーゴッ!ガーゴッ!」で、
身じろぎしただけで「ズサーッ!」って大音響がする。
これは面白かったんですが、お話し上リアリティでの問題点は、
小人と人間がフツーに会話できちゃっている事なんですね。
小人からすれば人間の発する声は「ガオーッ。」とか「ズゴズゴッ。」という、
大音響になるはずで。少年「グアー!、ゴワガラナイデエエェェ!」
で、人間主観ではアリエッティの声は蚊の飛ぶような音に聞こえるでしょう
アリエッティ「プウゥゥン・・ィィィン。」
・・・とね。
まあこれは、始めは大変でも、当事者同士の努力によって
だんだん上手く会話できるのではないかと思われるし、
観ている客にその辺をはしょって演出したのは、
スムースにお話を語る上で仕方のない妥協とはいえます。
でもそういう困難を乗り越える描写こそ、話として面白く、
少しでもそういう苦労描写があれば、逆にテーマが高められたかも、
とも思えます・・・。
そして目玉の作画について
まず素晴らしかった画面構成、背景美術について――
庭の草木などの小自然の美しさが目を惹きますが、
床下などの普通目にする事の出来ない場所に小人の家という、
ファンタジー世界を、リアリティを持って現出させたイマジネーションが
この映画の魅力の核になってます。これはイイ!
アリエッティら小人たちの生活にまつわる様々な物事を、
細部にまで想像力をめぐらし作り上げられた舞台背景によって
説得力のあるシーンとして見せてくれました。
:アリエッティカワイイぞ。だが注目すべきは仕掛けの行き届いた背景美術だ。
動画としては――
個人的には、アリエッティのキャラだけは観る前の印象よりも、
ずっと良く、魅力的で。もっと動くところを見たいと思いましたよ。
面白いのは、アリエッティはいつもは髪を下ろし明るい普段着を着ていて、
ちょっと大人っぽく感じます。そして“借り”に出かける時の、
髪をクリップで留めアップにして、赤いワンピース外出着(戦闘服?)を着た様子は、
元気な、しかしちょっと子供っぽくなった印象になるんですな。
これは緊張の中にも浮き立つ心中を象徴しているかのようです。
小人の生活では、“外出”は危険が一杯の気の抜けない行動で、
我々人間のように明るくヒラヒラした服を着て出るのとは逆なのだろうと。
冒頭、ナイショで明るい普段着で庭へ出かけた時は、やはり少年に目撃されてしまったし。
( ここで赤い服は派手だろう、と言う人もいるだろうケド、
「赤」という色は、実は視認度は低く、充分な明るさや信号機のように発光していなければ、
ちょっと薄暗い所ではかなりわかりにくくなる。夕暮れ以降夜間には有効だ。
そして人間以外の動物の目には、それ以上に暗く黒っぽく見えるらしい。)
このアリエッティの変化によって、このキャラは生き生きとした存在感を放ち、
“特殊な状況に生きる少女”という説得力を持つ事が出来たと思いますよ。
まあちょっと、それ以外のキャラは、少年含めなにか煮詰め不足な感じがありますが。
( おかあさんは、少女のまま大人になった感じでイイとしても、
セリフの少ないおとうさんは、外出着は、ゴーグル付き頭巾とかで
『ナウシカ』に出てくる敵の戦闘員A、みたいなイメージでしたね。)
しかし主人公アリエッティのキャラクター表現が上手く出来た事で、
この作品は色々な問題があっても、再鑑賞に堪え得る物になったと言えます。
グッジョブ!
アニメーション、アクションは、全体に抑制の効いた、
変なデフォルメのない、説得力のある動きが徹底していました。
これは作画の力量がとても高いという事です。
(TV向きのデフォルメしまくりの、デッサン力よりセンスで勝負のアニメも好きですが。)
―それだけに感情もアクションも、もっとはっちゃけて欲しかったなあ。
新人監督の米林氏のアニメ‘描画’演出は確かに素晴らしかった。
キャラの描写の存在感は宮崎駿以上でしょう。
ただそれ以外の部分では、監督といっても評価不能です。
言わばオヤジ格の宮崎の考えたイマージラインのまま、
作画しましたって感じしかせず、新しい味はしなかったと。
個人的に残念だったのが、あれほど表面張力を強調したお茶などで
ミクロ世界をデフォルメして描いて見せたのだから、
アリエッティが泣くシーンでは、
お茶よりも表面張力強いはずのこぼれる(大きな)涙の粒を、
面白く&美しく描いて見せる事に挑戦すべきだったはず。
しかし実際のそのシーンでは、
普通人間サイズのセオリーで描かれていて、ちょっとガッカリしました。
会話の件もそうだが、そのへん制作の都合での使い分けだが、
チャレンジを回避しているとも言えるぞ。やるならトコトンやれ!
制作ドキュメントTV番組(NHK)を観たら、
激情を動画に乗せる天才の宮崎に対して、米林監督は物静かで、
作風も細やかな演出表現を得意としているようで、
持ち味の違いと言えますでしょうね。高畑勲監督タイプに近いような・・・
しかしだとすると、両者の中での譲れない「一番」は違うもののはずで、
そこは、イニシアチブを取った監督ではなかった『アリエッティ』制作において、
イメージのギクシャクする一因となっているな、とうかがえる。
で、宮崎氏も、若手を叩いて作品を高めていこうと言うやり方は、
幾度もの過去の失敗から、マズイ作家の育て方だというのが判っていて、
さらに米林氏の打たれ弱そうなキャラから、
制作期間中かなり‘腫れ物に触るような感じ’で接していた・・。
そういうことから一旦描き上がった絵コンテを叩き台に検証したり、
討論を交わすような事を経ていないという、
いつに無く完成度の低いコンテでGOになっているように思える。
宮崎自らの監督作ならば、個人で深く検証してきたようなシーンは、
「あいつに任せるから」として、懸案部分もナマのままで
絵コンテをリリースしちゃったんじゃないですか。
その辺が同じような制作スタイルだった『耳をすませば』と、
大きく違うところだと感じられます。
((故)近藤喜文監督との作家性の違いは大きく、単純には比較できないですが。)
制作者は、もっともっとバトルして新たなる境地へ行って欲しいなあ。
TV、映画問わず、映像商業作品となると、
自分の思うストーリー表現の実現を、ケンカして勝ち取るような気概が無いと、
人に伝わるものづくりはできないとおもうからね。
・・ごめん、ちょっと偉そうな事言った。(もちろん自分の事は棚に上げちゃって。)
でもこういう期待はやっぱりジブリだからこそ、ですからねッ。
最後に一言総評を言えば
『借りぐらしのアリエッティ』
大作感は全然無いが、(逆に)ホメて言うと、
これこそ“珠玉の掌編”というものじゃないだろうか。
(辛口すぎの批評のわりに結構好意的な結論になった。)
で、『アリエッティ』のトータルな出来を見て、
ジブリの似た立場の作品の中での私的な位置付けするとーー
『耳をすませば』>>『アリエッティ』>>>『猫の恩返し』>>>>>・・『ゲド』
ですね現状。
次回オマケ的に番外編その2です。
それじゃ。
(2回目と3回目、間が空いてしまったのはso-netのせいです。
長時間メンテに続いて投稿受付されなくなってました10/1~/2)
『借りぐらしのアリエッティ』評・その2 [映画]
『借りぐらしのアリエッティ』評
〔第2回〕
:ポスターのキーイメージ画、この絵では髪留めクリップの角度、付き位置が変。もう気になる~
前回は――
かなり、スッキリしない。
更に人間側の描写がイマイチな点がいくつかあり、
――というところまででしたので、今回は――
《注意》
前回に引き続き、
以下、激しくクライマックスとオチについてネタバレしてます!マイナス指摘もあり!
『アリエッティ』未見の方、超気に入っている方もご遠慮ください。
『借りぐらしのアリエッティ』
スッキリしないポイント
1:観客を惑わす、リアリティだいなしの唐突で強引なストーリー展開。
人間の病気の男の子(主人公から見れば巨人)が、前置き無しに
突如アリエッティのウチの天井をバリバリとはがし(映画T4のロボ攻撃みたい)、
キッチン部分の壁一画を除去、代わりにドールハウスの高級キッチンセットを
ガゴーッと突っ込んでプレゼントしてくるが、
あまりにも強引で無理のある唐突さである。
アリエッティの隠された家の場所を、いつ病気少年は知ったのか?
ワンカットでも病気の苦しさをこらえて床下や天井裏を探す少年の描写があれば
少しは納得できるのだが、そういう描写は全くなしだし。
アリエッティの家は何部屋かに分かれてあったはずだが、
床下の隠された小さな小箱のようなキッチンのある場所(リビング?)を、
頭上床上からピンポイントでオープン&リフォームしてるし!!
(プレデターのような赤外線アイでも持っているんだな!きっと。)
あまりにもご都合主義な描写だ。ほんとに宮崎コンテなのか?
それとその少年の行為は、虫や金魚の水槽に「ほーら家だぞー」つって
欠けた植木鉢やらを突っ込む行為に近い思考と思われ、
他者への“思いやり”から発した行動ではないだろう。
これはあまりにも精神年齢が幼いと言わざるを得ない。
幼稚園までなら分るが、少年の落ち着いた言動とは全くそぐわない行動だ。
『ポニョ』で「海水魚に水道水注ぐな幼稚園児」って批判されてたが、
それ以下だろ!コレ。
まじでほんとに宮崎コンテなの?!ヤバイッスよ。
2:人間側の平板なキャラクター描写。
誰でも感じる事だろうが、お手伝いのオバサンの理解不能なキャラクター。
“無自覚の邪悪さ”といえるような思考のイヤな人で、
付け狙う小人に対してだけでなく、主人側である病気少年に対しても、
猜疑の目を隠さないし、最後まで“敵対”した行動を取っている。
このお手伝いオバさんを、雇用側である少年(名前忘れた)と伯母さんは、
制することもせず、最後まで野放しである。(叱るなりクビにするなりしろよ)
そのせいで、大切に思っていたアリエッティ一家は新天地を求めて、
少年の屋敷から去って行かなくてはならなくなった、のにな!
観客の心情としては、この手伝いバアサンをそれなりに懲らしめて欲しかった。
捕まえた小人や証拠が無くなっててちょっと錯乱するだけだし。
最後に一言でもいい、反省するような言葉を口にさせるだけでも良かったのに。
(余談だが「出エジプト記」(映画「十戒」)がユダヤ人以外にも、お話として
広く受け入れられているワケは、主人公側をさんざん迫害したうえ追撃してくる
古代エジプト軍団が、海が割れた紅海の大津波に呑まれてしまうシーンで、
強大な仇が懲らしめられ、スカッと溜飲が下がる点にある。)
このバアサンは周囲の人々と心の交流が全く窺えないのにも気になる。
そういえば、今作では、人間同士にはつながりが薄く孤独感が強い。
これは作家が意図したものだろうか。状況的に孤独である小人一家との対比で。
わずかに伯母さんがドールハウスの思い出を語るところは、
すこし心の交流を期待させられたが、そこからあまりドラマ的発展はしなかった。
主人公少年は病気のせいか思考が浅く平板で(バカ?)、表情も虚ろだ。
(そういやいきなり初対面に発した言葉が「怖がらないで~」とかバカっぽいな)
アリエッティとの出会いを通して、成長する感じがひとつも伝わってこない。
もしかしたら、アリエッティに向って「滅び行く種族だ」と言い切るような
“嫌味な性格”が少し直って、素直になったのかもしれないが。我々には分らないヨ。
更にほじくった事を言ってしまうと、なんらかの‘病気が重い’というのは、
少年が過大にそう思い込んでいるとしか思えないな。なぜなら、
本当に重篤で大手術を直前に控えた患者が在宅待機なのはおかしいだろ!
寝たきりでもなく、何の機器もつながず、介護者も無くテクテク歩いて
庭で日向ぼっこですよ。ちょっとどうなんすか?時代が少し前(?)であっても、
設定ヌルいぞ。(この状況は、手術後のリハビリ期の生活だとしか思えない)
そして、クライマックスでの少年の行動は手伝いババアに対して、
ただ小人存在の証拠隠滅、発覚を取り繕うばかりであり、
(捕まった小人母探しを手伝ったが、救出まではしていないし)
多くの宮崎アニメの主人公たちにあった、深慮や決意によっての、
“澄んでいるが熱い決然さ”は無い。
3:なんかスッキリしない別れのシーン
ラストの決別シーンは、宮崎駿も泣いた!とかいってましたが、
なんかコレでいいのかなあ?と、ずいぶん不満を感じていた・・・
なぜかと思い巡らせてみると―――
この場面、アリエッティの目で見ると少しグッと来たものがあったが、
あとで少年側の立場で考えると・・、
「もっと出来る事があったんじゃないかい!」と、
一喝したい思いにかられたよ。
だいたいだな「こうなったのも僕のせいだ。ごめんよぅ。」と
泣きながら、ひたすら謝れよ!!アリエッティちゃんに!土下座ッ!
(立ち退きの原因は、アリエッティ一家の隠れ家を小僧があばいたせいだろ)
変に余裕がありすぎるんだこの小僧は。もしくは感情も超平板なのか。
(「生きる勇気が湧いた」って言うだけでちっとも伝わってこない心情。
代わりに「絶望した」って言ってても違和感無い、ノー説得力エモーション描写)
「だって仕方ないんだー。
心臓に持病を抱える病弱さ&親とのふれ合いも無いからね。」とか、
妙にステレオタイプな設定を言い訳にするのかね。私は承知できませんわ。
だったら尚更、ふさがっていた心のドアが開く様な瞬間が描けていれば、
観てる方も感動できたのになあ・・・ザンネンなり。
4:客観的過ぎというか非情なラスト
エピローグでワンカットでもいいから、別れた後、
残された少年が、将来的に小人たちを支援していくような「決意」を胸に、
翌日の手術に向うという感じがあれば――、
(少年は「生きる勇気が湧いた」とか自分の事についてしか言わない)
少年の身とアリエッティら小人族両方に、わずかなりとも希望を抱かせて、
ぼくらは劇場を出る事が出来たのに。
滅び行く種族としても、未来に何かほのかな希望を灯して欲しかったな・・
それと、少年にとって大イベントである難手術については全く語られない。
結果を暗示的に匂わすことすら1ミリも無く。そういうスタイルもあることは認めるが。
せっかくなんだから、手術中に少年がアリエッティを朦朧と思い出すとか、
退院できた少年が、いなくなったアリエッティの面影に胸を焦がす、
などとやってくれたら、・・・もうね、観客は
切なさで少年以上に胸が苦しくなって、泣ける傑作になったのでは、と。
まあ、「そういう下世話なトコはあえて描いていないんだよバカだな!」
と、即答されちゃうのは目に見えるようだけれども。
盛り上がれるはずの局面の演出も、積極的にエンターティメント表現しなかったし、
冷静に抑制された演出と言いたいのでしょうが、
どうもお話として難しい所を避けて作った雰囲気を感じてしまった。
真っ直ぐ走っているようで、その実、ひどく左右スラロームしている思考過程を感じる。
(その最たる例が「ゲド戦記」だったと思う。)
しかしここで、逆に褒めて言えば、厳しいお話を派手なアクションで何とかしようと
砂糖をまぶすようなゴマカシをしていないとは言えるね。
なんかお話の筋立てとしては、ファンタジーの設定ながら、
甘さの無いハードボイルドな展開結果になってるアニメだ。
(作者がキャラクターたちを突き放して描いているしな)
味に奥行き複雑さは無いのが痛いし、苦味でなくエグ味が残ってしまったけれども。
わずかに、新天地に向う逆境にめげないアリエッティの姿だけが救いか・・
(ついでに言うと、あの後はやっぱりアリエッティは、
あの知り合った小人族のジムシィ?(名前忘れ)と一緒になるんだろうなあ・・
そうなるしかなさそうだもんなあ・・・)
第1回目の記述と被りますが、やはり今回の話こそ、宮崎アニメ特有の、
重い状況運命を何とかするラス前のブレイクスルー展開が欲しかった話だった。
5:笑えるシーンが一個も無し。
あの、手伝いババアの「グガガ」とか言う錯乱シーンで笑えというんですか?
それとも「便所コオロギの足食うか?」でですか?
いやま、笑えるシーン無くてもいいんですが、観客のエモーションを
もう少し揺さぶることを考えて欲しかったということです。
問題を感じたのは大体このくらいですが、厳しすぎるだろうか?
あとアニメの各構成要素についての印象は・・
―第3回に続く
それじゃまた。
(9/30少しだけ加筆)
『借りぐらしのアリエッティ』評・その1 [映画]
ヒネッテユート!ぼちぼちロードショーも収束に向いつつある映画ですので、
そろそろ辛口のでもいいだろうということで。いつになく長文です。
『借りぐらしのアリエッティ』評
はじめに――〔●番外編その1:デジタル上映での謎なぞ〕
今回はデジタル上映で観ました。昔『千と千尋』をスカラ座のDLP上映で観て
そのクリアな観やすさにはビックリしたので。例えば風景を横パンする場面は
どうしてもフィルムだとフリッカーが起こって画像がビビッてしまうのに
ピターッときれいに観れたんです。いやー感動しました当時。
しかし今回の『アリエッティ』デジタル上映(TOHOシネマズ西新井
(回によりフィルムとDLP上映があり、DLP上映を選択鑑賞した))では
庭を大きく横にパンする場面で、逆にフリッカーどころかビビリまくって
ブレぼやけしちゃてるぞー。(全面ブラー)
画面全体が突如ブワーッとぼかし状態。ひでー。(酷いのはそこだけだったが)
なんだこりゃ?どういう事~?デジタル処理に問題あったのか?映写か?
いきなり出鼻を挫かれたようだが、まあいい。置いとこう・・・
まず、全体の基本イメージとして――
小人の床下の暮らしを丁寧に怖さ楽しさを込めて描写しているのには、
実にワクワクさせられた。
主人公アリエッティもなかなか魅力あるキャラで良かった。
(主人公だけで他のキャラはイマイチでしたが)
人間の目を避けて人家で物資を調達し、見つかるとガラス瓶に入れられたりとか、
そのへんは昔のTVシリーズ『巨人の惑星』を彷彿と思い出させられた。
(知らない人も多いみたいだが、「猿の惑星」の猿を巨人に置き換えればOK。
というか宇宙飛行士が惑星に着陸したら、自分たちがアリエッティ・サイズだった。)
表面張力がちょっと誇張された一滴一杯のお茶とか、
クッキーを潰して粉にする食材作りとか、楽っしいー。
もっといろんな物事の描写を見ていたかった・・・。
どうやら、この辺がこの映画の肝ポイントなんざんすな!
(「うん、この価値を大きく認めて深くは語らない方がいいかもね。」(虚空からの声)
だがことわる!)
《注意》
以下、激しくクライマックスとオチについてネタバレしてます!マイナス指摘もあり!
『アリエッティ』未見の方、超気に入っている方もご遠慮ください。
しかしながら、エンドクレジット出て観終わって、
なんか欲求不満の気持ちで映画館を出る事になった。
まず感じたのは、“カタルシス(精神の開放)”と言える箇所が無かったな、と言う事。
宮崎アニメでは、必ず無理矢理にでも入れ込むその要素が、
今回『アリエッティ』では無かった。
例えば『魔女の宅急便』を例にわかり易く表現してみると――
魔力が弱くなった魔女見習いキキは、空を飛べなくなり自信喪失してしまったが、
以前知り合った画家の卵ウルスラの森の中のアトリエに泊まって、語り合ううち、
焦ったり背伸びしたりしてきた自分を見つめ直し、心に落ち着きを取り戻した・・・
(その後)(まずアリエッティ的なストーリーラインで書いてみると)
A:以前の町より小さな町に移ることになりましたが、
だいぶ落ち着いてきました。(イマイチだった都会を忘れて。)
一日一日少しずつ魔力を再び身に付ける修行をして、
以前ほどではないけれど飛ぶ力が付いてきました。
もうすぐ宅急便の仕事も再開できそうです。
落ち込みましたけれど、私は元気です。
と、言うエンディング。
どうです?リアリティと展開的にはナットクできますが、
なんともスカッとしない話の締め方ですね。
ここはやはり、
(その後)(本来の魔女宅ストーリー)
B:唐突に突風が吹いたため、たまたま飛行船を見学中のボーイフレンド、
トンボが絶体絶命に。助けられるのは飛行能力がある(はず)の私しかいない!
四の五の言わずに飛ぶんだ!飛べた!大変だったが地上へ落下するトンボを
激突前に捕まえることが出来た!禍転じて福となす!
火事場の馬鹿力で飛行能力も戻ったし、ギクシャクしてた対人関係も
一躍人気者になった事で少しやり易くなった。
ま、落ち込む事もあるけれど、私は元気です。
と、宮崎アニメに付き物の唐突なクライマックス展開ですが、
公開時このBパターンを観せられて、私ら観客はやっぱりスカッとしました。
それまで周到に丁寧に積み上げられた描写(その世界観と生活描写で)によって、
主人公たちのキャラクターは、観客の心中に大きく形作られていきます。
それはその存在感があればあるほど、塊りのように重くもなってきます・・
それを消化というか昇華してくれるクライマックスの事件があればこそ、
宮崎アニメはこれまで評価されてきた一面もあると言えます。
“ハジケル時”、
今回の『アリエッティ』にはそれがありませんな。
この『アリエッティ』は、『耳をすませば』と同じように、監督はせずとも、
宮崎駿が脚本絵コンテ(全編各シーンにわたるラフな絵のアニメ指定)
作ったというので、ストーリーの責任は宮崎にあるんでしょうが、
ちょっと、かなり、スッキリしない。
更に人間側の描写がイマイチな点がいくつかあり、
今回ばかりは、ちょっと推敲すべきだったと思わざるを得ない。
―第2回に続く
すんません、何回かに分けます。(全3回+α くらいかな)
んじゃ、ヒネッテユート!
庭もブログも放置で草ボーボー [雑感]
くだまきついでに・・・。
このブログずいぶん放置してしまった訳なんですが、
そうすると、あちこち勝手に広告張り付けられ、
本文にも語句検索のリンクを勝手に張られ、文字が所々茶色くされちゃうんです。
なんか汚いし(自分で着色するのはいいの!)、もうやめてくれよ!イジメかッ!
「更新無しノータッチ放置してたお前が悪いんだオラッ」と指弾されてるようだ。
それよく分ってるんだけど・・・
「俺のブログに勝手に手を入れんなよ。」
とは言いたい。
ただ、ムッとしつつも、
手入れをサボってた裏庭に雑草がはびこっちゃった様を見ているようで、
ちょっと笑ってしまった。(実際には庭などもってませんが)
草むしりしなきゃな~。wWwWWwww←雑草
(今はもう元通りになりました。ブログの草むしりしたヨわははー。)
.,v.,v,.,.←根っこ残ってるけどなw(またすぐ繁茂しそうで)
ああ前に『借りぐらしのアリエッティ』『インセプション』等観てたので、
近々批評を載せたいと思います。
それじゃー。
「温暖化」じゃなくて「高温化」推奨 [雑感]
お久しぶりです。
9月も下旬でようやく秋の雰囲気出てきましたが、
少し前のような殺人的酷暑ではないものの、まだまだ暑いですね。
毎日のようにTVでは気候について解説されてますが、そこに一つ。
○地球温暖化という言い方は考え直せ
この猛暑の続く異常気象は「地球温暖化」の現われだ。と、言いますが。
その“温暖化”という言い方には、いつも違和感があります。
というのは“温暖”という言葉には、
「過ごし易い」、「人間が住みやすい」、と言う意味が含まれているからで、
例えば、「温暖な気候風土」といえば、とりわけ暑くも無く寒くも無く、
人々が定住して、都市などを築くのに適した土地、と言う事になります。
「地球温暖化」と言う言葉が、元々言いたい意味としては、
地球の気温全体が年々数度ずつ上昇していく事を指して言っていた訳なので、
本来の意味としては、
『高温化』
とすればハッキリ言いたい意味が通るのではないか。
あなたも、いままで「温暖化」と聞いていて、
なーんかイメージの中では「まあ温暖ならば、あまり進行しなければいいけどね。」
と文字通り“ぬるい”受け止め方してませんでしたか?
私がそうでやんした!
去年末ごろ、「冬にも蚊が出てくる。温暖化してるゾ。」と騒いでましたが、
発生の本番の真夏には猛暑すぎて蚊が全然出てこない!うわー!
どこが「温暖化」なんだッ。
と。
と言う訳で「地球温暖化」という文言は、
『地球高温化』
と言い直すことを推奨する、ことにいたしました。
・・・個人レベルから。
久々に書く話題じゃないなー。
まあ、いろいろちょっと大変だったので、どーでもいいこと書きたいんです。
少しずつでもで更新しこうかと。
それじゃ。
TV「ゲゲゲの女房」は面白いぞ [テレビ]
NHKってば「龍馬伝」より、
朝の「ゲゲゲの女房」が燃えるなあ!
ん十年ぶりにNHKの朝の連続テレビ小説を、観てるけど面白いなあ。
昔から水木しげるはもう大ファンで、(昔の墓場鬼太郎の記事参照)
放映前から注目してきましたが、
奥さん視点のおかげで、マニア的‘漫画道’臭が抑えられ、
かえってお話として面白くなってます。
現代では絶滅状態の貸し本屋さんの苦労なども絡めたり、
小さな貸本出版社の創業したはじから倒産しまくりとか、
今では語られない文化が、その狭間でいろんな目に遭う
水木夫人の目を通して生き生きと語られていて、観ていて楽しい。
(月刊ゼタの深沢編集社長は「ガロ」の長井勝一の事だろうなあとか、
そろそろ、つげ義春出てくるな、後で池上遼一もアシスタントに入ってくるな、
とかいう漫画ファンとしての楽しみ方もあるけどね。はは。)
主演の水木夫婦を演じる役者さん二人も若いのにうまいなあ。
先月くらいから視聴率ガンガン上がってきて
ファンとして嬉しい限り。
お話は結婚当時から何年もずっとビンボーですご~く苦労しているんだけど、
もうすぐ「ゲゲゲの鬼太郎」で大逆転するんだよなあ・・・
「自分を信じて頑張る」というテーマにおいては、
「龍馬伝」(悪くないけど、ホコリ使いすぎ!せめて京都はよせ。日本一湿っぽいのに)
より、観てて私は燃えるんです。
ついでに言うと、
紙芝居を経て、貸本漫画→漫画雑誌へと、
過渡期の大波に苦労しながら、時に挫折断念するもの、
なんとか生きていくものなど漫画家たちの様子を垣間見られ、
現在の、出版不況→世界的電子化への大波に
翻弄されている漫画業界の状況、選択を迫られる漫画家達にも、
ちょっと似通った雰囲気も感じ取れたりします。
ま、この「ゲゲゲの女房」個人的にぶっちゃけて言っちゃうと、
私このところ体調を崩してアンダーになりがちな気持ちを、
なんだか盛り上げてくれてます。
予約録画して後から観ながら消してるんだけども、
総集編はぜひ録画保存したいと思うぞ。
‘ブブゼラ’は止めてくれ [雑感]
いよいよ佳境のサッカーワールドカップのトーナメントですが(7/6現在)、
日本にとっての、ワールドカップはベスト16という結果で終わって、
「よくやった」「残念」とか巷での評判で、私も良かったと思います。
ところで―
今大会中継でかなりイヤだったのが、
応援ラッパ“ブブゼラ”の騒音です。
すぐ慣れるとか言いますが、
あの騒音って、選手や監督の声もかき消してしまい、
プレイの妨害にもなってるって言うじゃないですか。
だいたいああなっちゃうと、どっちのチーム応援してるか判んないだろッ。
ニギヤカシもイイカゲンニシロ!
という客観的な意見は置いといて・・
ブブゼラ騒音はTVを通しての音が、
「“蜂の巣”を叩かれちゃって怒りまくる凶暴な蜂大群の羽音」
に聞こえてしょうがないんですよ!おいら。
この「ヴーン」って音って、
昔(大体70~80年代)の恐怖(ホラー)映画で
観客の不安を掻き立てる為の、効果音(S.E.)に
頻繁に使われていた音、まんまソックリなんですよ。
(例:悪魔に翻弄されてる人物のヒステリックな様子にこの音をかぶせる)
ちょっと関係した話としては、
S・キングも「シャイニング」原作小説で、
怨霊の悪意が具現化した、ブンブン言う‘蜂の巣’を
不安の象徴として効果的に使っていましたよ・・・
(キューブリック版映画では過去の安手の恐怖モノに使われたイメージに
なっちゃうのを嫌がったのか、蜂の巣は丸ごと却下。)
だから、そういう記憶のある人間としては、
なんだかワールドカップの試合がTVで映る度に、
ムダに不安を掻き立てられちゃってるんですよ!モウ!
特に仕事など何かしながらTVつけててチラ見してると、
人をイライラさせようとする効果のようなものを感じ、
作業が妙に上手くいっていないようなイメージに・・・
うぬう、実に迷惑だッ!!
それじゃヒネッテユート!
「似通った」映画たち! [映画]
ヒネッテユート!
最近どうも映画の印象がゴッチャになりがちだと思いませんか?
え、ナニ?老化の第一歩だとう?い、いやー違うんじゃないかな・・・
ん?・・・何の話だっけ・・・
●「足して2で割れッ」映画!
なんか最近、似かよった設定や話の映画が多くなった気がする。
ネタ枯れ症状の一端なのかもしれないが。
(なんかへっぽこ映画に多い気がする・・・)
最近では、
「ザ・ロード」と「ザ・ウォーカー」(どちらも未見です)
:ザ・ロード
:ザ・ウォーカー
邦題も似てるが、(昔から山ほどある)滅亡に向う世界設定もクリソツで、
お話は旅をしながら「子供を守れ」と「本を守れ」で、
絵作りまでちょっとセピアモノトーン風でハイコンで、って似かよってる。
上の画像見てると「一緒に旅すれば?」って声掛けてあげたくなったよ・・・
もう足して2で割ってくれ。
少し前のものでは、ついレンタル屋で、足して2で割れッと
つい口走ってしまったのが・・・
ニコラス・ケイジの「ネクスト」と「ノウイング」
どんだけ未来予知したいんだ!?ニコラスあんたはッ!!
(叱ってます)
もう、どっちがどっちやら。ゴチャゴチャに。
「ウルトラ・ヴァイオレット」と「イーオン・フラックス」
この二つは公開も同じ頃だし、
似たようなファッションの美女戦士の華麗な戦闘アクションが
やっぱり未来都市で次々繰り広げられる映画で。
なぜだか次々と展開するアクションも観てるうちに慣れてきて
眠くなっちゃうとこまで似てる・・・。
吸血鬼モノでは
「アンダーワールド」と「ブラッドレイン」とか他にもあったな
バイオレンスホラーだが、あとは
似たようなファッションの美女戦士の華麗な戦闘アクションが
次々と繰りひろげられ・・・って上のとおなじじゃん!
需要があるのかねえ、こういう美女戦士モノって・・・
あ、もしかしてプリキュア、セラムンとかのUSAハードバイオレンス版なのか~?
「ウルトラVとイーオンFは組んで、必殺技出したりしなさい。声を合わせて。」
そして巻き込まれ映画で、
「イーグル・アイ」と「ウォンテッド」
平凡な主人公の男が、いきなり絶体絶命ドンパチカーチェイスなどに
巻き込まれるトコロは、映画のタイプとしてよくあるとはいえ、
イメージがかなり近いし、やっぱり公開時期も同じ頃だったし。
ハイテクSF(無駄な事ばかりしてる超コンピューター)と
オカルトSF(天の声を紡ぐ機織り機)の違いはあれど、
どっちも説得力の薄いトンデモ話で、
しかも主人公の役者のイメージがソックリで交換しても成り立つヨ。
(ラブーフとマカヴォイ)
役者共々足して2で割れ!!
あ、あと、
主人公を厄介ごとに引きずり込む、
Eの方:コンピュータのジュリアン・ムーアの声と、
Wの方:暗殺者アンジェリーナ姐さんの色っぽい感じも通じてる感じ。
最後のオチまで観て、「おいフザケンナ!」って思うとこも
似てたなーこの2つの映画。
もうおんなじ様な映画ばっかり2時間も3時間も観てらんないよ!
(と言いつつもまた観てしまうんだろうなあ)
いっそ3つくらい足して一本にしてくれ!
■ちょっと脱線:色設計について
「ザ・ロード」と「ザ・ウォーカー」のところで書いたけど、
最近アクションやファンタジー映画に増えてきて、なんかイヤなのが、
モノクロにフィルターで単色の色味を付けたかのような映像の映画が、
「スタイリッシュでしょ。カッコいいでしょ。」って主張してる事です。
ハリポの最近数作なんか、シーンごとに一色ずつ青や緑や黄色のセロファン越しに
白黒映画を観てるみたいじゃないか!いいのかそれで!
第1作はちゃんと色設計してたよな。このテヌキッ!
それがちゃんと始めからの企画であるならまあ許せるが、
なんかすごく安易に色設計をサボっている感じでちょっとイヤだ。
まったく、3D化なんか考えるよりも、まずそういう基本ちゃんとした方が!
(「プリンス・オブ・ペルシャ」は砂漠の雰囲気なのでギリギリオッケーか?)
それじゃ、また変な事思ったら書きますね。
ヒネッテユート!
※:06/14少しだけ修正追記
映画『ターミネーター4』鑑賞 [映画]
ヒネッテユート!
またまた遅ればせの、以前に観た映画の感想続きで―
●『ターミネーター4』
結局、映画館じゃなくDVDレンタルで観ました。
以前、期待の映画として、
“ナメきったスカタンな出来になるか?
ファンの求めてるツボを心得たナイスメイドになるか?
スゴイ賭けだな。”
と、エントリに書いたんですが・・
残念ながら前者でした。
(ヘナチョコ3作目の方がガッカリ度は高いけどね。)
観始めた導入部はイメージフォトなどからも伝わるように、
なかなかにハードなイメージで、惹き付けられました。
んが、
それ以外の、キャラクター、ストーリー、スケールとも、
全然考えられていないスカタンな出来でしたッ。
勝手に進んでいくストーリーの各シーンに説得力が無さ過ぎるよ・・。
<以下かなりのネタバレ注意!>映画未見の方は読まない事をオススメします。
『コラライン』2D字幕版公開決定! [映画]
<『コラライン』追記>
公式サイト見に行ったら、2D・字幕版公開だってさ!
要するにオリジナル英語音声と言う事だす。
声優はコラライン/ダコタ・ファニング。お母さん&魔女/テリー・ハッチャーですよ。
画像は2D・字幕版公開記念。トビネズミネーム!
(USA版公式サイトでのコンテンツで、好きな言葉をネズミ文字で作れますヨ。)
今更ながら。
映画『コララインとボタンの魔女』 [映画]
ご無沙汰してます。
2ヶ月ずっとそのままで。訪問された方には失礼しましたー。
今年に入ってから、なかなかにヘビーな数ヶ月でしたんで・・
ま、状況はあまり変わらないけど、
少しは春らしく蠢動していきたいっすね。もぞもぞ。
まずこれまで観た映画評など。2ヶ月前・・すっかり遅くなっとる・・
(ネタバレありますので注意してください)
ずいぶん待たされて公開した、
ストップモーション・アニメの極地!
「ウォレスとグルミット」とは違った方向の作家性をビンビン感じます。
画面構成、色彩設計とも凝りまくり、「勉強になる」レベルをはるかに超え
もう大気圏離脱してるッ!
しかも3Dって、人形コマ撮りする場合ものすごく大変だろ!
なんたってキャラクターをアニメートする時、
カメラのレンズに映らない人形の陰に支持棒などをつけて撮影するのだけど、
“3D撮影”では左右の角度の違うカメラ2台で写す訳だから、
当然人形の後にできる死角もかなり小さくなってしまう。やりづれ~っ。
そして、劇中で何匹ものトビネズミ達が飛び跳ね、
シンクロ体操のショーを繰り広げるんだけど・・・
これ“コマ撮り人形アニメ”にチャレンジした事がある人には衝撃だと思うんだ。
空中に飛ぶキャラクターのアニメートし辛さを。
それが何十匹を一度に別々に飛び跳ねさせる!
しかも俯瞰視点の全体を見渡す画面から、そのまま切り替えずに。
(空中に飛んだところで、キャラをクローズアップした画面に切り替えちゃうのは
よくやる手だが(しかも演出上別に悪い訳ではない)、
だれもがそうするであろう、そうしたセオリーに流れず、踏み止まってやりきっている!)
まったく驚異のシーンです。それ以外にもスゴイシーンのツルベ打ち!
映像関係の世界に居る人目指してる人と、全ての子供は必見です。
(すっかりロードショー終わってから言うのもなんだけど、ソフトで観るのも良いよね。)
まあ一応、映画としてちょっと気になる点を、二つばかり。
※以下ネタバレ&減点箇所注意!
2010年度年賀状です。 [日記]
ぬはっ。
2010年度の年賀状です。
遅い遅すぎるッ。
これ描いてた去年末(12月中旬)腰がギックリしまして、完成は年明け遅く、
差し出したのは実状寒中残寒見舞いでしたが。
(ぎりぎり年賀状お年玉抽選日前についたかと・・)
更にここに張るのも忘れてたり。もう。
去年と同じく下絵スキャンしPainterⅨで描いて塗って、
Photoshopで効果やら質感やら付けました。
途中中断したせいか、後半グダグダなノリで描いてたので、
なんか絵のまとまりがなくなってしまった。
虎柄のダルマさんだけのつもりだったんです、始めは。
シャマランの映画「エアベンダー」と関係ないけど、
出来た絵(虎形拳)がちょうど近い感じだったんで、
‘LuckyBender’幸運を運んでくれますようにと。
それじゃ、今年もヒネッテユート!
ゴーグル無しでも見れる『アバター』3D! [映画]
アバターようやく鑑賞 [映画]
いやーどうも。
●『アバター』
やっと観ました。字幕3D版で。
なかなか楽しいアトラクションを堪能しました。
ストーリーは、予想してたような葛藤などはあまりなく、
もう思ってた以上に単純すぎだったと思う。
惑星の原住民=アメリカ・インディアンという
あまりにもストレートすぎる設定だけど、
見世物興行としてはそれで正解だしね。
異世界風景を丹念に見せてくれるカメラワークは、
世界遺産のTV番組を時々楽しみに見ているオイラには、
それだけでも嬉しかった。
変な生き物達は、もっと変なものをたくさん期待したので少し不満だが。
エグいイメージは抑え気味で、全体に美しい表現で気持ちは良かった。
(ジャングル惑星って、ほんとはもっとイヤな虫とかイッパイいそうだけどな。
例:『キング・コング』の谷底(あれはホントにエグすぎ。ムシムシ大行進)
3DについてはTOHOシネマズでのXpanDの字幕3Dで観ました。
メガネ掛けてると鼻の付け根が痛くなるとか、評判の悪い3Dゴーグルは、
カッタルかったが痛くなるほどじゃなく。
頭の後ろで留めるストラップがツルに増設してあったからかな。
アイマックスのスクリーン以外は暗いって言われてるが、
そんなに暗さは感じなかったな。(見比べたら違うんだろうケド)
席の位置は自分なりにベストと思った“中央前の方”に取ったおかげもあったか。
視界に対する画面の大きさもまあまあ合っていたかな。
反面、この辺は席のひな壇の勾配がまだゆるくて、前の席の背もたれの上の端が
鑑賞のジャマで時々気になったりして。
次観る時は“中央若干前ぎみ”くらいにしようと思う。
アイマックスも検討したんですが、ウチから行けるのは
川崎と埼玉の菖蒲(聞いたこと無い地名)で、どっちもちょっと遠いんすよ。
ま、アイマックスって言っても簡易版で、3フロアーぶち抜いて立てる
本来の巨大スクリーンじゃないしな・・。
当日は朝から頭痛、肩こり、腰痛、風邪気味と、身体の具合が悪く、
3Dメガネで頭痛くなったという話聞いて、躊躇したんですが。
観終わった後は、かえって頭痛が治ったりして健康的にも行って良かったヨ。
ところで『アバター』の3Dは画期的な立体感だと聞いてたんですが、
技術的に格段に進歩してるが画期的とまではいかないと思った。
2Dの映像平面を手前から奥へ数段階の層を立てるようにして立体感を演出してるんですが
昔から2~3段階あった奥行きを枚数段階増やした感じで。
要するに‘手前の絵と奥の絵は地続きじゃない’ってことで。
2Dスクロールゲームの擬似的に立体的表現をしようとしてた画面構成に近い。
(私も以前仕事でやってたんですが、ゲーム機ハードの制限に
こういう工夫で挑戦するのは面白かったなあ。)
ポリゴン3Dゲームでの物体の横から後に回りこんでみるような、
ドキドキする立体感臨場感には技術的にもう少しか・・・
(もしかしてアイマックスだともっと立体感いいのかな?)
〈おはなしの感想〉昔も未来も「地上げ屋」はヒデーやつらだ!
いやあけまして [お知らせ]
腰はだいぶ軽快してきました(重いものは持ち上げられないけど)おかげさんで。
それじゃッ!
期待の映画『アバター』 [映画]
ヒネッテ・・イテテ
ひねったらまだ痛いって。
医者で神経ブロック注射尻上方に打ってもらって、
シップ&飲み薬で良くなってきましたが。
皆さんもこの寒い季節、腰を冷やさないようにしましょう。
やっぱり座りっぱなしは良くないな。
(20年以上こんな生活しててようやく気付いたンかイ)
~ァヒネッテユートホォ!
●期待の未見映画
『アバター』
もうロードショー始まってますが、
3Dで観ると陶酔的な映像体験を味わえるんだそうで、
モウ観てえ!
ところでトレーラーとか見るとストーリーは、
『ポカホンタス』としか思えないんですけど。
『アバター』の方は異邦人の男がハイテクで造り上げた生体に乗り移って
現地人になりすまし、現地娘と恋をし、
地球側を裏切ってレジスタンスを先導するような、
「ラストサムライ」風味もあるようですが、まあ、
「異邦人男(ジョン・スミス)が活躍するポカホンタスSF版」
で間違いなさそうですな。
(どうでもいいけどポカホンタスのジョン・スミスって
ありがち過ぎる名前だよなあ、 山田太郎、鈴木一郎、的な)
―といってもジェームズ・キャメロン監督の狙いは、
作り込んだ高度な3D世界体験を観客に提供する事のようなので、
複雑なストーリーはかえって鑑賞のジャマと考えたものと推察する。
だからどこかで聞いたような話の方がこのテーマパークライドに
すんなり乗って行けるんだろうな、と。
この異世界風景もどこかで見た感じのイメージで―
昔の名作PCアドベンチャー・ゲーム「MYST:ミスト」の続編に
こういう空中に浮く巨石岩塊群をツタ吊り橋が繋ぐ舞台があったよな。
霧にむせぶ感じもそうだし・・
メカもなんか、未来を感じさせる超ハイテクなデザインじゃなく、
どこかで見た様なレトロ感のあるミリタリーメカばかりで、
分りやすいっちゃ分り易い。
メカのテクノロジー進化から言えば、『エイリアン2』の物より
さかのぼって古くなった感じ。
ジェットロケット推進らしかったドロップシップ(エイ2)はカッコよかったが、
今回のはヘリコプターだし(ベトナムのヘリボーン風)。
三角翼のシャトルなぞは大昔70年代のNASA実験機ソックリ。
ツインローターのヘリは『帰ってきたウルトラマン』の
「マットジャイロ」(デザイン最高)を思い出したし、
歩行メカロボのパワーローダー(?)は、
20年以上前のアニメ『戦闘メカ・ザブングル』(好きだ)の
ザコメカ(なんとかウォーカー)のイメージクリソツだ。
:マットジャイロ イカス!
と、いろいろ並べ立てるのはここまでにするか。
こういうのはまず体験してみないとね。
まあ、鑑賞前、鑑賞後の考察を比べてみるのも一興だと思う。
ところで、この映画などは、もしかして吹き替え版のほうが
体験しやすい様な気がするんだよな。
作り込んだ3Dなら字幕はそれを壊しちゃう気がするし、
なんだか目が疲れそうだしね。
昔の吹き替え版は、音響が原版よりどうしても平板で立体感が損なわれてたが、
最近じゃ吹き替え作業はちゃんと仕事がしてあり、立体感もよく表現されて
とってもよく出来ている。(話題優先のヘタな芸能人吹き替えを除く)
字数制限のある字幕に押し込めて翻訳するのも話によっては無理が出てくるし、
(『レッドクリフ1&2』は吹き替えで鑑賞したらすごく分りやすかったし音響もOK。
そして『スタートレック』('09版)のDVDで吹き替え版見比べたら、
翻訳的にも音響的にもかなり良かったので。)
「アバター」は今回どっちの3Dバージョンも上映するそうで、
悩ましいなあ・・
しかしこの腰じゃしばらく映画館行けないぞ・・
やっぱりアバター観るのは年明け以降だな。
それじゃ。
あ、メリークリスマス。(メリメリと腰が苦しみます、ってダジャレかよ!)